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ナロー・ダウン

 わずかに戻った思考力を頼りに、私は大学の研究室のサイトを渡り歩いていた。どのアミノ酸が脳関門を通れるのか、帯状回を直接刺激することは可能なのか、セロトニンの生成速度を決めている要因は何か…

 全ての知識はバラバラだったが、見つけ次第片っ端からノートに書き写していた。あるサイトで見つけた知識に別の本の知識を書き足し、ノートは書き込みで真っ黒に近くなっていた。



 私はPCから手をはなし、少しのけぞった姿勢でノートを眺めた。たまってきた知識の間に少しずつ関連性が見え始め、 はまったピースの数がはまっていないピースの数をわずかに上回ったかに見えた。
  まだピースのはまっていない部分の穴の形がぼんやり見えてきた。次に探すべきピースはどこの何か? 範囲は少しずつ狭まっていった。



 私は再びクリックし、検索し、書き写しを始めた。
リンクされずに散在していた知識が、次第に敵の正体の形に組み上がってきていた。

「このパズルは、きっと解ける」。





はじまり - 9年前

 工業化学という学問を学んだ私は、薬品とは何の関係もないゲーム会社に就職した。当時は「次世代ゲーム機戦争」などとマスコミにもてはやされていた時代で、私は業界2位の会社で新機種の一部を開発していた。
 入社後3ヶ月間の試用期間中は残業なしというのが建て前だったが、熾烈な開発競争は何も分からない新人の私の手さえ必要とし、同僚が定時で帰るのを見届けつつ徹夜する日々が始まった。もちろん、新人だから要領が悪くて時間がかかっただけというのが主な残業原因だったとは思うが…

 仕事にはやりがいがあった。しかし、私は「働き続けることは良いこと」という勘違いをしていた。今思えば、これが最大の間違いだった。7つの仕事を掛け持ちし、残業は月に200時間を超えたこともあった。「働けば働くほど成果が残り、多くの仕事がこなせる」という思いこみは続き、休憩をすれば効率が上がるという他人からのアドバイスを否定し、休憩したいという欲望さえ無視した。そんな自分をかっこいいとさえ思っていた。まったく、バカだった。




 入社後3年ほど経って、やる気が起きない日が出てきた。出社してもなかなか仕事をする気になれず、一度取りかかってもすぐに疲れてぼーっとしてしまった。そんな自分自身を許せず、栄養剤や興奮剤、コーヒーを飲んでゲーム用の音楽制作に取り組んでいた。自分が疲れているということにさえ気付いていなかった。今思えば、当時の上司には申し訳ない仕事ぶりだった。



 その時はあまり気乗りのしない仕事の担当だったので、やる気がないのは仕事の内容のせいだと思っていた。それでも休まなかったので疲れはどんどんたまり、未来に魅力を感じなくなってきていた。自信満々で入社し、雑誌のインタビューに出させてもらい、自分名義のサウンドトラックさえ会社から発売させてもらっておきながら、「自分は今後、もう幸せにはなれない」と感じていた。実はこのマイナス思考はうつ病の特徴なのだが、当時は自分の疲れにさえ気付いていなかったし、ましてや自分がうつ病だなんて思うはずもなかった。





離人症が併発

 もはや出社してもほとんど仕事にならないようなある日、外部からお呼びがかかった。独立して会社を興した元同期入社の人間が、その新会社へ来ないかと言ってくれたのだ。私は自分のキャリアの将来に魅力を感じていなかったので、その誘いを受けた。小さくて新しい会社なら、面白い経験が出来ると思ったのだ。
 私は大会社を退社し、社員5人の事務所へ荷物を運び込む作業に取りかかった。



 しばらくは大した仕事もなかったが、逆に言えば給料が危うくなるくらい仕事がなかった。音楽制作として入社したものの、企画マンの真似をしてゲームの仕組みを考えたり、営業マンの代わりに新企画を売り込みに行ったりするようになった。全く慣れない仕事には非常に時間が掛かり、成果も大したことがなかった。私は焦り、もっと長く働いてまともな成果を残そうとした。



 2年ほど経ち、10人ほどを従えて泊まり込みをするような生活をしていたある日、別チームから不穏な相談をされた。勤めている会社が取引先と大きなトラブルを起こし、嫌気のさした社員が一斉に退社すると言い出したのだ。退社する者たちの仕事は私のチームの仕事と直接の関係はなかったが、彼らは結構な人数だったので抜けられると会社は大ダメージを受ける。
  そして、私は再び同じ誘いを受けることになった。

「俺たちは独立する。一緒にこないか?」



 私の仕事が頓挫することが確定し、私は抜け殻のようになってしまった。体には全く力が入らなくなり、もはや出社することさえできなくなった。自分と外界の間に透明な膜があるような奇妙な感覚がはじまり、全ては他人事のように感じられた。今思えば離人症の始まりだった。

 それでもまだ、私は自分に異常が起きているとは思っていなかった。今までの仕事が無駄になるから気落ちしているだけだと思い、自室で脱力感と戦っていた。

  やる気はいつになったら戻るのか、と焦りながら。





現実が遠のいていく

- 回復から5年前

 紆余曲折あり、私は10人の会社を新設し、代表として働きはじめた。音楽屋のはずが社長になり、覚えなければいけないことは山ほどあった。当時はそれなりにやりがいも感じていたが、さまざまな不調が現れてきた。目の前で他人が話しているのに、ずっと遠くにいるように現実感がない。突然方耳が聞こえなくなり、数秒間で元に戻る。血圧が高いわけでもないのに、目の前が霧のように白くなることがある…

 それでも、対策が必要だとは思っていなかった。ちょっと疲れているんだろう、という程度に思っていた。そして、徐々に仕事の効率が落ちだした。何をやるべきか分からないということが増えてきて、あてもなく困るだけということが目立ってきた。誰かに相談するという考えさえ浮かばず、業績も体調もずるずると悪化していった。



- そんな状態が4年ほど続いた -



 やがて出社してもロクに仕事ができないようになり、打ち合わせでも実作業でも何の役にも立たなくなっていた。頭がまったく回らず、体にも力が入らない。休日も出社し、溜まった仕事を目の前にして座り込むだけという状況。そしてやっと、「自分の精神状態には問題があるのではないか?」と気付いた。

 私は催眠療法を受けてみた。結果的に、ごく短期間だけ体調が良くなったが、すぐに元に戻ってしまった。不調の原因を取り除かずに対症療法をしたのだから当然だ。だが、当時は何が何だか分からなかった。

※言っておくが、催眠療法に罪はない。正しく使えば役に立つが、私のうつ病には効果が薄かったというだけだ。



 自分の症状をネットで調べたところ、どうやらうつ病ではないか、と思い至った。うつ病は怠け者が患うもので自分には無関係と思っていたので、自分がうつ病であるということはすぐには受け入れられなかった。しかし、下らない意地を張っている場合ではなかった。少しでも早く、この沈んだ日々から抜け出したかった。

  意を決してうつ病を扱う診療所へ行き、自分の症状を書いた紙を医師に渡した。「うつですね。薬を出しましょう」。診察は数分で終わり、釈然としない思いで診療所を出た。



 「何の質問もせず、何も調べず、最適な処方ができる訳がない」…
そしてすぐ、他の診療所をネットで探した。





協力者:医師との出会い

- 回復から9ヶ月前

 何件か見た後、サイトに「患者の最高のパフォーマンスを1ヶ月以内に取り戻す」と書いていた渋谷の診療所を見つけ、早速連絡した。私はとにかく気力を取り戻したかった。寝ても食べても疲れが取れないのを何とかして欲しかった。

  院長は私の話をじっくり聞いてくれ、さまざまな薬について説明してくれた。私は納得のいくまで話し合うことができ、前回の診療所とは違った薬が処方された。



 しかし、症状はわずかに改善しただけだった。身動きが取れないほどのだるさこそ軽減されたものの、頭の動きは相変わらず鈍いままで、積極的に仕事をこなせるとは言い難い状態から脱することはできなかった。私が医師の言いつけを守らなかったからだ。

  薬は指示通りに飲んでいたが、会社の仕事があまりに滞っていたので泊まり込みや徹夜が続いていたため、休養は思うように取れなかったのだ。院長は「ちゃんと眠らないと良くならない」と言ったが、それはできない状況だった。症状が良くなれば仕事がはかどり、休めるようになる。でも休む時間を作るためには仕事の遅れを頑張って取り戻さなくてはならない…。悪循環は続き、私は役立たずのままだった。



 誤解のないように書いておくが、 私は今でもこのクリニックを信頼し続けている。私がマイナーな薬品の名前を持ち出すと、院長はその薬を知らないことを素直に認め、その場で調べて私に適するかどうか判断してくれるし、全ての疑問・質問に正面から答えてくれるからだ。



 通院からほぼ半年。私の仕事は完全に麻痺し、当然のように会社は倒産した。経営が手放しだったのだから当たり前だ。
 そして、私個人も自己破産した。負債総額は会社と個人を合わせて6000万円以上。自己破産をすると借金返済の義務がなくなるのだが、代わりに持っている資産を全て差し出さなくてはならない。借金も資産もゼロになる。それが自己破産だ。

 借金を見逃してもらうため、私は亡き父から相続した自宅を失うことになった。そのための破産手続きは本当に気が滅入った。資産を失うこともストレスになったが、受けた仕事や借りたお金を放棄することになるため、縁のあった取引先を敵に回すことの方がさらにストレスになった。社員にも給料が払えなくなるから、彼らもまた味方から交渉相手に変わらざるを得なかった。

  それでも、社員の一部と利害関係のない社長連中、幾人かの取引先は私を助け、励ましてくれた。ある取引先は中途半端なまま放り出してしまった仕事に代金を払ってくれた。別の取引先は私に新しい就職先を探してくれさえした。社長連中は私を励ましてくれた。
 65歳の母は、私のせいで住む家がなくなるというのに「じっくり体を休めなさい」と言ってくれた。




 破産によって私は仕事から解放された。迷惑をかけた取引先は私を責めないでくれた。私の携帯電話は鳴らず、期限のない休日が訪れた。
  私は無力感に身を任せ、日々を無為に過ごした。もはや努力する意思もなく、逆らうことのできない大きな波に流されるがままになっていた。



 社長というものは雇用保険に入れない。よって失業保険もなく、収入は閉ざされた。家は売却せざるを得なくなり、立ち退きが決まった。無気力なままだったのでアルバイトをする気にもならなかった。だが、不思議と不安はなかった。母がなけなしの貯金を分けてくれ、しばらくの間の生活費を面倒見てくれると言ってくれた。

 私は、しばらくの間休養に専念できることになった。




 「うつ病治療の基本は投薬と休養」 。どの本にもどのサイトにもそう書いてあった。私はそれを守り、気ままに過ごした。1ヶ月が経った頃、気分転換のために一人旅に出ることにした。1日に1カ所だけを訪れる、レンタカーでの気ままな旅だ。時間に追われず、他人に合わせる必要もなく、海や山で自然を満喫した。はずだった。





最悪の日

- 回復から45日前


 旅行から戻って10日間、私は家から一歩も出られなかった。ひどい虚脱感で立ち上がるのも辛く、ただ食事と睡眠だけを繰り返した。薬は指示通り飲んでいたし、差し迫った心配事はなかったし、本を見ても「気分転換の旅やドライブは問題ない」と書いてあった。全くわけが分からなかった。
 後になって分かったのだが、実はうつ病患者にとって旅は禁物。正確には「新しい環境に身を置くこと」をしてはいけない。環境の変化に対応しようとすることは、立派なストレス要因なのだ。



 2件目への通院から8ヶ月。私は初めてうつ病に自分から取り組むことにした。今の治療法にはきっと何か問題があると思ったからだ。離人症も耳鳴りも改善していなかったし、薬(ドグマチール)の副作用で体重は 96Kg にまで増えていた。改善した自覚症状が1つもないことに気づき、私はうつ病の治療法についてネットで調べ始めた。



 「うつ病の原因は、脳の中で2つの物質、セロトニンとノルアドレナリンが足りなくなること。だから、この2つの物質の働きを補う薬を飲むと症状が治まる」。どのサイトを見ても、どんな本を読んでもこう書いてあった。しかし、抗うつ薬は飲んで30分で実際に機能すると言われているが、それならばなぜ効果が出る=症状が改善されるまでに早くても2週間以上かかるのか?

 結論から書くと、「うつ病の原因を確定した人は、実はまだ誰もいない。セロトニンとノルアドレナリンの欠乏は、うつ病の原因ではなく結果の一つ。だから、セロトニンとノルアドレナリンが足りるようになっても、根本原因は手つかずのまま。当然、うつ病の症状がおさまることはない」。 要は対症療法に過ぎず、脳の自然治癒を待っていたのだった。そしてもっと悪いことに、脳の自然治癒を助けるようなことは現在のうつ病治療ではほとんど何も行われていないのだ。



 私はうつ病のメカニズムを調べ続け、本当の原因は脳の中の扁桃体という部分が興奮することにあるのではないか、と考えるに至った。人間にストレスが掛かった時、一番先に反応するのが扁桃体だからだ。

 なぜ扁桃体が興奮するのか? どういう場合に「癒し」を感じるのか? 「やる気」の正体とは何か…?。 いろいろなことを調べ、脳の働きのメカニズムを知ろうと努めた。一般向けの本はどれを見ても 「休養しましょう」「休養が大事」としか書いておらず、とても役に立つとは思えなかった。我々に必要なのは「一体どんな休養が効果的なのか?」ということなのだが…。

 うつ病患者は概して頑張るタイプで、休養の取り方をすっかり忘れてしまっていると思う。そんな人間が「はい、休養して下さい」と言われても、どうしたら良いか分からないだろう。私自身、どう休んで良いのか分からなかった。



  私は「そもそも休養とは何か」を調べるという、いささか遠回りではあるが確実そうに思えることを始めた。その時には一般向けのうつ病の本よりも大学の研究室のサイトやTV番組の健康法コーナーの方が役に立った。特に研究室の論文は難しい専門用語にさえ慣れてしまえば内容自体はごく簡単で、目からウロコが落ちるような知識に次々と出会うことができた。

 そして「休養にも品質がある」ということに気づき、横たわることや睡眠をとること以外にどんな休養を取るのが良いかが分かってきた。




 私は、緑を見た時と音楽を聴いた時に最も安らぎを感じることができた。

  風にゆれる木や草を眺めている間はマイナス思考を頭から一掃できた。対象が静止物ではなくて常に動いているものが良いようだった。
  また、見ている景色に最も合う音楽を思い浮かべたり実際に聴いた時に気分が安らいだ。草原を見ている時は「G線上のアリア (mp3)」、海を見ている時は「on the beach (mp3)」、青空を見ているときは「威風堂々(mp3)」。

 
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 平行して、普段の食生活を見直してみた。「医食同源」という言葉から自分が栄養不足であるかもしれないと思い、ビタミン剤を飲んでみることにした。
 1ヶ月ほど飲み続けてみたが目立った変化はなかった。その間も脳の働きを調べたり自分に合ったリラックス法を探していたものの症状は一進一退、あまり良くなったとは実感出来なかった。

 それでもビタミン剤は飲み続けた。このビタミン剤に含まれる多様なミネラル分は、脳の中の神経伝達物質の活性化に欠かせないことが分かっていたからだ。





そして回復が始まった


 体調が良くなったのを実感したのは、プロテインを飲み始めてからだ。「セロトニンとノルアドレナリンが足りないなら、足りるように材料を補給すればよい」。そんな単純な考えから始めたプロテインが、うつ病に対する理解を大きく前進させるきっかけになった。

  プロテインを飲み始めて3日目、気分の落ち込みがなくなって体が軽くなった。「人間は入力を整えてやればすぐに出力に反映される」。そう考えた私は、ノートを用意して試した手段とその結果の関連を記録し続けた。主に毎日の気圧、天気、3時間ごとの気分の変化、行った運動、飲んだ薬である。そうすることで、効果のある手段とない手段を見極めた。

  • 気圧の変化は気分・意欲に関係しない。

  • 日中の運動はランニング30分程度までなら寝付きは良くなるが、眠りの深さを深くすることには貢献しない(夜中に目が覚める)。 ランニングを1時間までやってしまうと日中疲れて昼食後に無気力になる上に、やはり眠りの深さは浅いまま。

  • 運動不足が2日以上続くと、眠りが極端に浅くなって頻繁に中途覚醒する。さらに、運動不足3日目には一日中気分が冴えず無気力になる。 散歩程度の軽い運動でも寝付きは良くなり、翌日の活動意欲も上がる。

  • 気分が滅入った時、コルチゾール抑制剤である「ホスファチジルセリン」と「リローラ」を一緒に飲むと、30分ほどで楽になった。どうやらコルチゾールの濃度が高いと気分がダウンするらしい。

  • 中時間型睡眠薬(サイレース、ベンザリンなど)だけでは睡眠が浅く、3時間間隔で目が覚めてしまう。寝る前に風呂にゆっくり入ったりストレッチ運動をしても効果なし。寝る前にホスファチジルセリンやリローラを飲んでコルチゾールを下げても効果なし。成長ホルモン分泌促進剤を飲んでも効果なし。

      ただし、中時間型睡眠薬に睡眠ホルモンであるメラトニンを1錠加えると睡眠中の覚醒が防げた。睡眠薬なしでメラトニンだけでは効果がなかった。メラトニン2錠では悪夢を見てしまい、夜中に自分の悲鳴で目が覚めた。
     なお、メラトニンはセロトニンが代謝して作られるもの。セロトニン不足が考えられるが、寝る前にガムを噛んでも症状は改善せず。




 これらの変化は私の場合なので必ずしもあなたに当てはまる訳ではないが、「こうやって試行錯誤して自分にとってベストな手段を見つけるのが大事」ということを理解して欲しい。
人間の体は一人一人違うので、全員が必ず回復できるたった一つの方法というものは存在しないということを理解して欲しい。



 こうして試行錯誤を繰り返しているうち、徐々に夜型の生活が朝型に変わってきた。日光を顔に浴びることが快感になり、目覚めが良くなってきた。

 そしてついに、「幸せになりたい」という願いが浮かぶようになった。



私は自我を取り戻したのだ。





ただいま!


 今では朝4時前に起き、ランニングをする。昼間はやりたいことをやり、夜になっても筋力トレーニングをする気力が残っている。眠りも深くなった。

そして何より、「あれがやりたい」「これが食べたい」という自発的な意欲が戻った。



 私は帰ってきたのだ。勉強や試行錯誤の日々は無駄ではなかった。そして、今後はこの知識と経験を闘病者と分かち合うのが使命だと感じている。

 日本にいる500万人のうつ病患者が、なすすべもなく呆然としているのを救いたい。世界にいる3億人のうつ病患者を、以前の元気だった日々に連れ戻してあげたい。



 次は、あなたの番だ。

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